エモいに浸食されると会話は意味を無くします
本日、リビングで本を読んでいたら妹とその友人の会話が聞こえた。
「マジでセブチの曲エモくない!?」
「わかりみだわー」
はい。出ました「エモい」。もうね、期待したとおりですよ。本当に。これが俗に言う若者言葉です。そして「わかりみ」。これも頂きましたね。わかりみが凄い。
補足すると私の妹は女子高生なんですね。そして、その友人も当然女子高生。セブチというのは私の妹が滅茶苦茶にハマっているK-POPアイドルグループのこと。ちなみに妹の偏差値は6くらい。野生のカラスと知恵比べすれば中々良い戦いをした後に負けるほどの莫迦です。
まあ、JKはエモいくらい使うよなーと思いつつ、特にツッコミを入れずに本を読み続けていました。
妹「昨日さ、町田でタピったんだけどさ」
友人「え? ここ?」
妹「うん。そこ」
友人「マジ? いいな! これから一緒に行こうよ!」
妹「了解道中膝栗毛!」
その会話を聞いた瞬間、疑問符がブワッと、鳥肌がゾワッと、頭の中はポリゴンショック。赤と青の明滅がひたすらに繰り返される常軌を逸した状況に、私は混乱を極めました。今の会話、内容がいっっっっっさい分からない。
え?え?何? 私が本を読んでいた間に時が10年くらい進んだ? 今の会話1ミクロも分からなかったんだけど。
「タピった」? なんだそれ? 日本語なのか? もしかしてイヌイット語だったりしない? マジでわからんだけど。タピるの過去形ってのはわかるけど、そもそもタピるが分からん。お前強めの薬でパキってない? しかも「ここ」でパキったの? いつの間に我が家でヤバい薬パキってんだよ。
そして、最も意味☆不明なのが「了解道中膝栗毛」ね。なにこれ? そもそも言葉なのだろうか? 何を伝えたいのか本当に分からない。「了解」になんでこんなオプションパーツ付いてんだよ。海外の通販番組なみにオプション付いてきてるわ。あれもこれも付けた結果が「了解道中膝栗毛」。なげえよ。
マジで二人の会話が理解できない。たぶん偏差値6ってこんな感じなんだろう。周りの会話についていくことが出来ない。すまない妹よ。いつもバカにしていて。こんな気分なんだな。
既に小説なんて頭から離れた。私の頭の中を支配するのは「謎の言語」だけだった。私は頭を下げて妹に教えを請うた。すると妹は「キモ。しね」と心温まる言葉ともに快く引き受けてくれました。誰もが羨む仲のいい兄妹ですよね!
さて、妹から教わった言葉を解析すると先ほどの会話はこのような日本語訳ができます。
妹「昨日さ、町田でタピオカを飲んだんだけどさ」
友人「え? CoCo(お店の名前)?」
妹「うん。そこ」
友人「マジ? いいな! これから一緒に行こうよ!」
妹「了解!」
怖くね?
マジで怖いよね。
タピるってタピオカを飲むって意味なんだって。意味分からんわ。利用シーンが限定的すぎる。タピオカを飲みに行くときしか使えない言葉をわざわざ作る意味を問いたい。だったらまだコーラを飲むときのほうが圧倒的に多いだろ。なんだ、そん時は「コカる」とでも言うのか? 瀧ってんじゃねえか。
いやさ。意外とこのような言葉って問題だと思うんですよ。
「エモい」はどんなシチュエーションでも使えて、なおかつ解釈を相手に委ねる押しつけ効果があるんです。例えば映画を見たら「エモい」。写真を撮ったら「エモい」。音楽を聴いたら「エモい」。こんな風に感想を言うシチュエーションだったら大概使える。
エモい以外にもこのように汎用性が高くて使い勝手の良い言葉は「ヤバい」だったり「面白い」だったり、ツンデレが使う「バカ」とかがあげられます。特にツンデレの使う「バカ」のポテンシャルは凄まじいです。怒ったときの「バカ!」とお礼を素直に言えないときの「・・・・・・バカ」ね。はいこれ最強。このバカ最強。この時、少し頬を赤らめて潤目だったらなお良し。
で、このような汎用性がある便利な言葉に浸食されたらどうなるか分かりますか?
そう、会話の定型文化が始まります。
映画を見たら「エモい」。写真を撮ったら「映える」。
このように会話のバリエーションが極端に少なくなるんです。
実はこのように会話の定型文化しているコミュニティがあります。それが5chです。あそこは全ての会話にテンプレートがあります。
面白いことを言ったら「草」。
詳細が欲しかったら「クレメンス」。
何か意見を言うときは「〇〇おじさん「言いたい主張」。
このように大量のテンプレートが生まれています。
最近だと「子ども部屋おじさん」という新しい言葉も生まれましたね。ちなみに私は子ども部屋おじさんです。
で、このテンプレートで会話をしているとどうなるかというと、自分の意見を言えなくなる可能性があるんですね。つまり、現実で議論が出来なくなるかも知れないと言うこと。
だってそうでしょう?
「エモい」や「草」などのテンプレートで会話をした気になっているのですから。相手の意見なんて気にする必要なんてないんです。ただ自分が思ったことを言語化の作業もしないで、定型文の皮だけ借りて発言した気になっているだけなんです。これは会話ではありません。ただの鳴き声です。互いに理解したつもりになっているだけの猿の鳴き声です。
このまま会話の定型文化が進むとどうなるのかを想像してみましょう。
「昨日のテレった?」
「テレったよ。エモ卍卍」
「わかりみ」
「今日さ、バガらない?」
「マ?モ?バ?」
「マ」
「ありよりのあり」
「それに最近、マがバエルーらしいよ」
「マ?」
「マ」
「り」
「あざまる水産」
「『マ』何回出るんだよ!」
私は堪らずツッコんだ。私の登場に呑気に会話していたJKたちは臨戦態勢を取る。
「うわ、説教おじさんじゃん。説教おじさん『マ何回出るんだよ!』」
「最近多いよね。説教おじさん。最近の若者は言葉がなってないって。お前にはかんけーし! 出てけよ!」
少女達に疎まれた私は呻いた。
私はこの世界に取り残された。若者からは老害と言われ、時代に順応できなかったオールドタイプと揶揄される。今ではもう議論という言葉すら死語になっている。互いの言葉を互いが都合良く解釈できるため、喧嘩や口論なども劇的に減った。私がおかしいのか。いや、私は間違っていないはずだ。しかし確証がない。わからない。何も。
私は大声で叫んだ。周りからの冷たい視線を気にすることなく、声の限り。やがて、私の周りに人だかりが形成される。彼らはみんなスマホを持っていた。私を見世物だと思っているのか、「ツイれるー」「ふぉぼ」「すこ」などの意味の分からない音の羅列が聞こえた。
そのまま私は取り押さえられ、病院に搬送される。
「よーしさっそくオペっちゃうよ^^」
白衣を着たギャルが言った。
「うわー脳の手術なんてバイブスマジあげぽよなんだけど」
止めてくれ。私は正常だ。何も間違ってない! 間違っているのは世界の方だ!
「草」
彼女は笑って、私の頭をかき混ぜる。
すると、途端に例えようのない多幸感に包まれた。嗚呼、どうして私は今まで考えていたんだろう。世の中は考えないでもとても美しい物じゃないか。無駄だよ。無駄。考えるなんて。脳味噌もみんなと一緒にデザインして、会話も服装も思想も全て統一すればここは楽園だよ。
「あっしたー^^」
ギャル先生に見送られ病院から出ると、街は今まさに眠りから覚める瞬間であった。
美しい朝焼けが街を包んだ。まるで生まれ変わった私を街が、地球が祝福してくれているようだった。
「マジエモい」
私はその景色を見て、視界が滲むのを感じた。涙が頬を通り、朝焼けに照らされて一筋の軌跡を描く。世界はエモい。心からそう思った。